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@ 嫁作 「パチンコに思うこと」

  私とパチンコの出合いは順風万帆に始まった訳ではなかった。むしろ私はパチンコが嫌いだったと思う。理由はまあよくある話で、私の両親がヘビーユーザーで私と下の弟はいつもパチンコ店の駐車場で長時間待たされたものである。その頃には小学生になっていたから、今問題になっている子供の車内放置とは全く無関係であると断言しておきたい。
 それに今ほどには子供が駐車場内にいるということに目くじらを立てていなかったのだと思う。ゆるい時代だった。長時間待つのは、他に似たような境遇?の子供達もいたりしてそんなに苦痛ではなかったが、やはり両親との時間を奪っていってしまうパチンコに対してあまりいい思いは持っていなかった。何でそんなに夢中になれるんだろうと不思議だったものだ。


 
そんな私が、今や自分の両親以上のヘビーユーザーになっているということについては正直失笑してしまうところだ。何せ殆ど打たない日はないというペースだ。そもそも私がパチンコを始めたのは、結婚してからのことである。旦那に何度かしつこく誘われるうちに仕方なく始めたというのが正直なところだ。最初に打ったのはデジパチの一円のピンクレディだった。その時は打った時間も短かったし、何より当たらなくてなんてつまらないんだろうという印象しかなかった。そこから確変台を旦那に譲ってもらったりして、徐々に魅了されていくことになるのだが、近所に優良店があることも大きな助けになったと思う。パチンコは回る台を打ち続けることだと、旦那に口を酸っぱくして教えてもらっていたので私はそれを実践していった。実際、回る海を長期間打つことができたのはその後に繋がったと思うし、専門雑誌のプロのコラムはその意識の高さがとても参考になった。もちろん今も刺激を受けている。

 
パチンコは旦那との共通の趣味でもあるし、私の人生を楽しく有意義なものにしてくれた今やなくてはならない存在だ。演出面も優れているからどの台を打っても楽しめるし、パチンコの題材になっているからと原作を読んだ漫画もたくさんある。原作を読めば興味が深まり、当然その台をまた打ちたくなるというものだ。ネガティブな事ばかりをマスコミは取り上げがちだが、パチンコが世の中に影響を与えているものは大きいと思う。

先日とある温泉街で今時珍しいタイプのパチンコ台を打った。昔の普通台?というものらしく、とにかく普通に玉を飛ばすのにも苦労した(私より三歳の娘の方がよほど上手いと旦那には云われた)。あれが今の主流でなくて良かったと半ば本気で思ったのはここだけの話だ。そこでは同じような家族連れやカップル、年配のおじさん等が楽しそうに遊んでいた。パチンコが本来持つ楽しさを各々が感じているように思った。  こんな風にしてデジパチオンリーの私だったが(エヴァシリーズやAKBが特に好きだ)、その上をいく楽しさを教えてくれたのが昨今の羽根物ブームの火付け役となった「トキオデラックス」や「マジカルカーペット」だと思う。これはもう本当に廃人になる位面白くて打ち倒したいという欲求が常にあるので、あまり手を出さないようにしているのだ(苦笑) 羽根物を打って、当たる瞬間が見られるというのはとても興奮するものなのだと知った。
よく言われることだが、ホールの喧騒の中に身を置いていると気持ちが安らぐ事もある(概ね出玉に余裕がある時だが) 打ちながら考え事をしているのは最早習慣といってもいい。一日の殆どの時間をホールで過ごす事が多いので。


 
ただ等価上等の流れはどうにかならないのかなと思う。等価の店では皆がギスギスした雰囲気で打っているではないか。あのよくある張り紙、「パチンコは適度に楽しむ遊技です」という言葉が白々しく思える程に。確率に翻弄されるが故に他人の当たりを祝福するのは無理でも、露骨に嫌がってそれを態度に出したりするのはどうなのかなと思う。等価の店が増えるということはそういう空気を助長しているように思える。以上苦言も書いたが、全ては良くなって貰いたいと思う一存からだ。今、パチンコ業界の未来はあまり明るくないのかもしれないけれど(特に四月からの消費税増税の影響が心配だ)、ヘビーユーザーの一人として何とか今の形で続いていってほしいと強く願っている。

 

A 管理人作

 「おっ、今日は車がいつもより停まっているな。」と少しは期待して店内に入るも、目に触れるのはやはりいつもの光景、車の主は多分低貸し玉コーナーのお客さん。4円のパチンコ台が空しく演出を続けている。どうしたら大好きなパチンコに活気が戻るのか、黙々と打っているだけの僕だけど、いつもそんなことを考えています。皆さんのよく行くお店にも玉に居るでしょう。平均してよく出している人が、そんな人が何を考えて打っているか、ホールから離れていったパチンカーがこれを読んで少しでも戻ってきてくれないかなぁと思い書きます。

 寂しいですね、ホール状況。 今、パチンコは僕にとって正に無くてはならないものになっています。自営の給料ではとても生活していけるものではないので、妻に事務所を任せて空いた時間を市内の優良店(ここには本当に感謝していて回る台が常に有り、スタッフも分け隔てなく接してくれます)に通い、助けてもらっているからです。 決して一過性のものではなく、年単位で勝ち続けもう10年になるんですよ。最初の記憶は1985年の春、高校を卒業して程なく、地元のお店でボクシングタイプの羽根物を小投資で当て、その出玉をすぐ交換した思い出があります、ボクサーの腕役物の動き時間切迫の「カンカンカン」という音は30年近くたった今も脳裏に刻まれています。高校卒業後は九州で学生生活を送りましたが、四年間、バイトと仕送りを遣り繰りしている身としては、デジパチや一発台、設置が始まりかけたパチスロには見向きもせず、又、見向きをする必要も無いぐらいに羽根物は楽しく、種類に富んでおり、ホールは魅惑の場所でした。当時の日記を見てみると、勝った時は克明に記してますが、負けが込んだときは一週間具の入っていない、お好み焼きで凌いだりしてました。

そんなこんなで、熱心な時期や、離れて居た時期もありましたが、今現在は業界状況とは相反するように、ホールにはほぼ毎日通い続けています。勝てるようになって判った事は、負けていたときは全て自分の責任だったという事、こんな事を言うと過去の僕が陥ったように、偏見に覆われている人々の謗りを受けるのは重々承知していますが。勝ちに至るプロセス、僕がそれに気がついたのは、2003年、学生時代に熱中した羽根物「キングスター」の復刻版が登場したのがきっかけでした。当時、この機種の変則的な羽根開放と長い中央レールに導かれvゾーンに入る様が印象的で、新聞広告では遠方のお店に導入されてゐましたが、あれは継承されているのかなと仕事の折に覗いてみることにしました。

 新しいそれは中央に液晶が備わっており別物でしたが往年の役物はほぼ同じ、当時なかった回転体は付いていましたが、少し打ってとても面白さを感じました。其れから暫らくして地元にも導入されるようになり、その中でも僕は比較的人の少ない、床が木のタイルのお店でよく打ちました。(今はスロ専になっています)ここには三台が並びで在るのですが、他は閑散としているのにここだけはいつも活気が有り、仕事帰りなどは台の確保もままならないほどでした。

 だから休日に朝から打つようになり、今までの空いた時間に何気なく打つというスタンスから初めて脱却したのもこの時からです。そして僕はこの台で勝ち続けました。今までは偶に勝った後は程なくして勝ち分を吐き出して、足が遠ざかり、勝ちの記憶が忘れられず、又再開して離れるというループでしたが。この時は台の面白さもさることながら、店自体が長期にわたりとても釘を甘くしていたくれたおかげで、初めてといっていい「パチンコは勝てるものなんだ」という自信が付きました。そして勝ち続けることにより、店内に長く居る事になるので、他の状況を観察する余裕も生まれ、いつも出している人が居ることにも気が付きました。その人はやはり羽根物でいつも「たこ焼き八ちゃん」という台で安定してだしていました。僕も空いているときなど打ってみるのですが、キングスターDXの様には結果が付いてこず、不思議だなぁ、お店と結託しているのかなとかいろいろ考えました。
 その当時は気が付かなかったのですが、後年、専門誌でこの台の継続打法を知るに付け合点したものです。この人はいつも一人目立たぬように打っていましたが、其れから数年してホールから羽根物台が少なくなった時期と同じくして姿を見かけることはなくなってしまいました。かく言う僕もキングスターで勝つことに開眼した後は、専門誌を購入するようになり、その中の情報として「レレレにおまかせ」や一部の機種などの継続打法を試すようになり、収支が安定してついてくるようになりました。収支をつけるようになったのも勝ち続けるようになったこそですが、この頃は今と違ってまだ一ヶ月に10日未満の稼働日数でした。

 元々活字を読むのが好きだったので、カラーページよりもひっそりと書かれている専業者のコラムを読んでいたのですが、意味も判らず「なんで収支がマイナスなのに満足しているんだろう?」と不思議でしたが、後年、デジパチに移行して徐々に理解できるようになりました。 そしてこの「内容を積む」という行為、学生時代苦手だった数字、数学の「一旦ここに置いといて」思考、実体の無い未来への貯金に気が付いたとき、いわばパチンコが僕にひとつの眞理を気付かせてくれたのです。目先の結果だけに一喜一憂しない、結果じゃなく内容が大切なんだと。

 そしてこのことは、同時にもっと子供のときに気が付きたかったと、例えば勉強ひとつとってもそう。子供のときによく言われた「やればできる」これは学力の劣る子供を叱咤激励するときに好く使われる言葉だが、当時は教師のおためごかしと思っていたが、世の中には努力する方向性があることを。そのやり方を知っているかいないか、で大きく労力が違う、例えば僕は数学にとても苦労し、今も苦手意識が払拭し得ないが(しかし当時とは違い先入観が排除されているので、早々と努力を諦めたり、数学の本に拒否反応は無い)これは決して頭が悪いのではなく、努力するベクトルが違っていたのだと判る。
 頭が悪いのではなく頭が悪いと思い込んでしまうのが問題なのだ。先生の子供が勉強できるのは元々頭がいいのではなく、子供に勉強の仕方を伝授する術を知っているからなのだ。最高学府に行くような人なら才能も加味されるだろうが、勉強の方法を間違えて己が才能を見誤っている人は多分に多いと思う。
 パチンコによって体感した未来への貯金、確率の考え方は、例えばスポーツの世界にも応用できる、その時に結果は出なくても普段の練習量がおのずとその世界の地位に繋がっていくのだろうと。その意味においても「運」や「流れ」をやたらに引用する解説者を別次元から見ることができるようになったのもパチンコが教えてくれた自信かも知れない。

 だから今現在、足が遠のいてたり、スランプに陥っているパチンコ愛好者の諸氏、目先の結果に囚われず、寧ろ、当っていない今がチャンスと捉えては如何だろうか、確率の元に人々は平等なんだから。負け続けていた時間が僕のように長かったほど、期待値は大きいかもしれない。その際は一円より四円で収束されることを願う。当時の僕にアドバイスしたかったなぁ。多分何のことか解らないだろうけど。    

了。