パチンコで得た考え方             トップページへ

 パチンコから得た、確率は平等、やがて収束する、しかし工夫と考え方で結果は違ってくる。ものの考え方が変わりました、例えば物事を近視眼的に見るのではなくトータルで考える癖が付いたのです。

具体的に言うと、例えば何か盗まれたとします、生涯の中で盗みに会う確率はよっぽど自堕落な管理をしていない限りこの不幸は日本ではそう多くありません、突出して遭う人もいれば平均より少ない人もいるでしょう、おしなべれば生涯で10回にも満たないのではないでしょうか、

僕は50になる今まで高校時代に時計、社会人時代に僅かの間に自転車二台、後は盗まれたかどうかわかりませんが釣竿一式がどうしても出てきません、ほかにも盗まれたと思っていても出てきたり自己管理がずさんだったことのほうが多いのです、中には盗まれて気づいてないのも在るでしょうがこれはほかの人に比べても(特に一度に多額の盗難に遭った人)比較的傷が浅いほうではないでしょうか。

なにがいいたいかというと、生涯で物を盗まれるという不幸収束値を、自転車ぐらいで看過してもらったならある意味「よかった」と思えるぐらいに発想転換を持ちましょうよということです、逆に人のものを盗むという行為は「盗む」という行為だけで考えてみると一億円も自転車もおなじ「一回の盗み」なのです、語弊を恐れずにいうのなら割に合わない行為ではないでしょうか。

だから小さな不幸で嘆く人を見ると「よかったねその程度ですんで、その人が悪い徳を持って言ってくれたよ」と言いたくなります。


はぁ盗みは盗みだろ、俺は今までお前よりたくさん盗難にあってきたぜ、という人には「いままでついてなかったですね、でも不幸収束値は平等だから(自己管理が普通になされていると想定して)これからはほかの人よりは盗難に遭う確率は低いですよ」といいます

こういった考え方ができる様になったのも、パチンコを通して確率は収束するということが体感できたからです。普段の行動は未来につながっていることを。




東舞鶴発敦賀行き   高山本線車窓
は僕の2001年度の様にこうしておわりました。
 

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