99夏 西日本、バイクの旅その3     その2へ   トップページへ

 
E7月25日   0キロ

 7/26於 宮崎市港埠頭 この二日間アクシデント等有り、先ず25日は強風の中テント崩壊の危機と戦いながら寝不足気味の夜を過ごす。それでも明け方は晴れそんな中7時頃、八木君姿を現す。 ブルース・ウイリスみたいに頭を短く刈り込み、あごひげを蓄え、約9年ぶりぐらいに会う。しかし、八木君に関しては久しぶりにあった気がしない。テントの直ぐ近くで時計のことなどを談笑、2時間位、お互いの記憶の符号を取り合ったろうか、国分市内に八木君のワゴンで食べに行くことに、うろちょろして結局R10号沿いの金龍でラーメンを食べることに、僕は店に入って先日起こったハイジャック機長刺殺事件の犯人、28歳 無職東京の新聞記事を読み、犯人の経歴等を読んでいると、いたたまれない気持ちになって気が寄りかけて、八木君に半ば助けを求める感じでうちあける。 どこまで解っているのかしれないが、兎に角適切なアドバイスを貰った気がする。も、食欲はなくなり殆ど残す。  コーヒーおごって貰って下井海岸キャンプ場に戻り暫くして別れる。 しかしこの後、強風にアルミマットが飛ばされたのか無くなっており、この辺りから色々ついてないことが続く。

  先ず、バイクのエンジンがなかなか掛からなくなる、八木君が帰った後位から、テントを壊すような風で(この時だいぶへたったらしい)テント直ぐ横に置いていたバイクもだいぶ雨にさらされたからなのか、結局もう一泊することに、浜茶屋で伸びきったソバを食べながら釣客や昔兵庫県警に居たというおじさん等と談笑しながらまだ在ねばならないのかという気持ちを紛らわす。
 結局、一旦しまったテントを別の場所に風が弱まったのを見計らって設営し直し夜を迎える夏休みに入っているので連日海岸では子供らが花火などにうち興じている。 その中に珍しくブレーブスの帽子をかぶった男の子に話しかけられ2言3言、言葉を交わす。10歳未満だろうからあの頃縁は繋がって無かったろうなあ。                              さてテントの方だが、マットが無くなった上に下の継ぎ目の方から雨が漏れて来るみたいで、底部に水滴が溜まる。もう服も荷物も半濡れで気持ち悪いことこの上ない、それでもウオークマンと携帯だけは濡らさぬように工夫、雨が強いのでファスナーを開けて外を覗くこともままならない。ラジオではパリーグが完敗していた。 もっとも神戸BWは三人しか出ていないのであんまり興味も湧かないが。 顔見知りになった夜の係りのおじさんに店の位置を訊き、テントの中にも居られないので、カッパに身を包み、堤防を歩いて10年前に幾度も行った錦江釣具店近くの新しくできているマーケットで夜食と雑誌買って戻る。

F7月26日    169キロ

浸水はいよいよ酷くシュラフもジュクジュクしてきていたがそれでも11:00〜1:00迄寝れたようだ。
 1:00頃から2時間ぐらい、ラジオを聴きながらテント内で風雨を伺う、三時頃NHKラジオで大隅地方に大雨洪水警報発令そして台風5号の発生を知りイライラも増幅、深夜の浜辺でバイク押掛けするも× 朝まで炊事場の炭焼きでべたべたのポロシャツ等を乾かしながら炊事。

 ガスコンロ中心なので、炭はなかなかいこらなかったが、一旦火がつくと暖かくて良かった。 カラになったコッヘルに炭を入れてテント内へ、すっかり明るくなって僕の方の考えももうすっかり復路の旅路は放棄していた。 場合によってはディグリーを売ろうと云う考えにいたり、随分気楽に 顔見知りのおじさんは中心部まで車で送ったろうと(6キロ以上)云ってくれたが携帯TELで13年前にMTX−50を買った瀬戸口近代車に連絡するとこちらに来てくれるという。 9時過ぎ40位の兄ちゃん来る途中、他2件寄って最近の国分事情などを訊く、で、すっかり様子の変わった店内へなかなかいい雰囲気の店だった。   小一時間位かかったろうか10:30位に修理完了、発火装置の劣化で思った以上に重傷だった。 

 帰りに上西APの大家宅へおやじさんはなくなり何時も缶詰くれたおばさんは現在入院中とか息子とおぼしき40代の人に訊く。 毎月払いにいったときにそっと爪痕を付けておいた玄関脇の巾木を確認し後にする。

 R10を福山町〜志布志へ 待ち時間を考え、宮崎市まで行くことに、ハンドルを取られそうな強風と素手に雨の当るのを感じながら白波の日南海岸を注意深くR220を90キロ近く離れている宮崎市まで行く。 市内で迷ったが3:40分手続、6:00過ぎ乗船7:10分出航となる予定だったが台風の影響で11:30分の今も待機中 

G7月27日  110キロ位 

  
乗る前に大丈夫かな?と思うぐらいの荒れ模樣だったが、やはり運行は無理で深夜、欠航のお知らせ、船内窓口ではトラック運転手等が係員に詰め寄って不穏な雰囲気、暫くしてから欠航から天気の回復を待って運行するとのことホッとする。

 数日来の寝不足もあり直ぐ寝て翌朝隣の家族の喧噪で6時頃起きる。 外は晴れているが一旦載ったトラックを降ろすため随分時間を掛けて9:30頃出航、その頃には再び天気は曇り気味で風は相変わらずある。そして何よりも素人目にして、転覆するのではないかと思うぐらいの上下、棚の中のものが向の相手の所まで跳んでいってしまうような揺れ具合、他人に命を預ける旅行手段に後悔の思いも沸き立ったが、酷かったのは4時間ぐらいだったろうか、なんにしても背中をくっつけ寝ていると酔う事はなかった。

 峠を超えても今までの数回のフェリー行など比較にならないほどの揺れ、とてもいつものように船内を探索するといった気分にはならず、殆どの時間をザコ寝席で過ごす。 今PM8:00前 予定では後三時間だそうだが・・・船内TVでは強風のため高知のフェリーが座礁する事件を報じていた。

 午後11:00大阪南港に到着 斜陽の街神戸にフェリーが到着しないことに一抹の寂しさを感じながら高槻市を抜けて亀岡ルートで帰る。 AM3:15帰着

 鹿児島で旧友三人と会ってからは天気等、つかないことが多かったが無事に帰れたので良し。 人生に振り返ることが出来る思い出が作れたと思う。  11572キロ→13500キロ 累計走行距離 1928キロ

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